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| サーモンダービーの表彰式。カナダから名誉顧問のジム・マーレー氏が来町。 |
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北海道の沿岸でサケ釣りが始まったのは昭和50年代後半に釧路管内音別町の海岸でたまたま投げ釣りをしていた釣り竿にサケが掛かったのが原点と言われている。これ以前には、有名な学説として「産卵の為に戻ってきたサケは、エサをとらないので釣れない」と言う事が言われ続けていた。
このため海であろうと川であろうと「サケは釣れない」と多くの人が信じて疑わなかったのである。ましてポイントを絞り込むことが出来ない海でサケが釣れたという事は釣り人にとって一大センセーショナルな出来事として、一気に北海道中を駆けめぐった。
この当時は、今のように河川ごとに決められている「河口付近でのサケ釣り禁止制限」が無かったために釣り人の多くが大挙して色々な川の河口に陣取りサケ釣りを行った。 |
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シンボルマークのデザインは、「釣りキチ三平」でお馴染みの矢口高雄さん。 |
| 本来、川に戻ったサケは、人工孵化用の卵の供給源である。このサケを河口で釣られてしまうと人工孵化事業にも影響がでる・・また大挙して押し寄せた釣り人の中には、傍若無人に釣り場近隣の敷地に無断で入り込み、置いてある資材を焚き火の燃料とする・・空き地を駐車場として占領してしまうなど、サケを捕っている漁業者との間に大きな摩擦の種を作ったしまった。このことからサケ釣りは、常に北海道内各地で釣り人と漁業者との間で相反する大きな問題となってしまった経緯がある。このことで河口付近の規制が強化され沖合でのサケの船釣りが閉め出されると言う規制強化がなされてしまったのである。 |
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| 沖合い1キロ付近に集結するサーモンダービーの参加船 |
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| サケの遡上が国内でもトップを常に争うほどサケが回帰する標津川が流れているのが道東にある標津町だ。年間の遡上数は、30万匹を超えることも珍しくなく沿岸は、サケの産地として名を馳せていた。標津町でも漁業者と釣り人との摩擦が顕著化していたが、サケ釣りのルール化を目指そうと(社)北海道スポーツフィッシング協会が中心になり北海道が提唱した「秋サケ・ライセンス制度試行」方針と合わせ海でのサケ釣り大会「ALL-JAPANサーモンダービーin標津」を昭和63年9月に初めて開催した。 |
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| 当初、優勝賞金30万円でスタートした大会でしたが諸事情により10万円に… |
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この大会は、カナダで行われていたサーモンダービーを手本に当時としては珍しい優勝賞金と副賞としてカナダ・サーモンフィッシングにご招待と言う釣り大会であった。また合計尾数などを競うものではなく「1尾の重量」での順位を決める大会でもあり、全国から注目を浴びる内容でもあった。
この大会を開催してから7年後の平成6年になりサケマス増殖事業の経費削減と始業の効率化を目指す措置として北海道内の河川でサケ捕獲事業を廃止する河川が生まれてきた。この廃止となる河川に忠類川も候補として入ってしまったのである。標津町では、サーモンダービーの開催により漁業と釣りとの摩擦が少しずつ溶け始め、サケ釣りのルール化が進んでいた。「川でサケを釣らせたらどうだろう」と釣り人にとって耳を疑うような提案が関係する漁業者から提案された。当初は「釣らせるなら、すべて漁業として漁獲を・・」と言う声も多数上がったが、いろいろな角度からどうにかして「遊漁」として利用する事が出来ないかとして計画、そして実行へと進んでいった。 |
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